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第471話 子どもを卒業させれば100点

ニッポンのみなさん

こんばんは。

公務員大家ダイモンジです。

このブログでは、

50才のワタクシが、

勤め人最後の10年間を乗り越え、

明るい老後を迎えるために、

毎夜、熱く語らせて頂いています。


前回のテーマは、

「向こう10年をどう生きるか?」

でした。

今回のテーマは

「子どもを卒業させれば100点」

です。

よろしくお願いします。

今年も新たな年が始まります。

良い年にしたいものですね。

年末、高校時代の友人と飲みました。

彼は、地元から100km離れた、大都会で

警察官をしており、名前をケンシロウくん(仮名)

と言います。

年齢もワタクシと同じで、

現在、管理職として頑張っているそうです。

大都会の真ん中に、狭いながらも家を買い、

長男さんが、東京の大学へ進学されたそうです。

めでたいことです。

「親父が今年、80歳を超えたけー、

免許、返納させたんよ。

カイモンが不便じゃケー、

2週間に1回、帰って来とんよ。」

とのことでした。

年老いた両親のことを思い、

(偉い奴だな~。)

と感心しまいた。

ケンシロウくん(仮名)とは、

高校3年間を共に過ごしました。

彼はサッカー部で

ワタクシはラグビー部、

クラスは一緒、部室は隣、

ということで、かなり親密な付き合いだったと思います。

ケンシロウくん(仮名)の高校時代の成績は抜群で、

日本史と生物以外は、圧倒的にワタクシより優秀でありました。


そんな我々でありましたが、

何を思ったか、

「農業で世界を救おう!!」

と誓い合い、

ワタクシは、都内の私立農学部へ

ケンシロウ君は、関東圏の国立農学部へ

それぞれ進学したのでありました。

時は過ぎ、2人が就職を決めたのは、

くしくも同じ、

地元の百貨店でありました。

何の連絡も取りあっていなかったのに、

不思議なことでした。

ワタクシは大学院に進学していましたので、

彼の方が2年早い入社でした。

「ダイモンジ、ここへ来たらいかんで。」

が、当時の彼の口癖でした。

どうやら、やりたいと思っていたことも

満足にできず、長時間労働、低賃金で頑張っていたようです。


彼の進言にも関わらず、ワタクシは

入社を決めました。

しかし、彼は、ワタクシが入社してすぐ、退社。

警察官となったのです。

彼の写真が、警察官募集のポスターとなって

全県の警察署にはられたのは、それから1年後のことでした。

きっと、同期の中でもキラリと光るものがあったのだと思います。

当時は、平成10年。

就職氷河期といわれ、就職も難かしく、

運よく入社できても、ブラックな企業が多かったように思います。

そこで、彼は働きながら、公務員試験の勉強をしていたのでありました。

それから7年。

ワタクシも同じように公務員試験を受け、現在に至ります。

今回の再会は、高校を卒業して、実に32年ぶりのことでした。

夜も更けてきて、お開きになりそうな頃、

彼がワタクシにこんなことを言うのです。

「ダイモンジ、子どもを大学卒業させたら、

親として100点よ。

ダイモンジも93点まできとるで、

一緒にもうひと踏ん張りしょーや。」

ワタクシは、今回の彼との再会で、一番、印象に残った言葉でした。

最近の大学生の半分は、奨学金を借りると聞きます。

それだけ、経済的に逼迫した家庭が多いのだと思います。

でも、ケンシロウくん(仮名)もワタクシも、

歯を食いしばって頑張っている。

そんな状況ですね。

あと10年で我々は、一旦、定年を迎えます。

しかし、運のいいことに、

結婚が比較的早かったせいか、

どうにか、定年までには、2人とも、子どもを卒業させる

ことができるかもしれません。

それまでの辛抱です。

これからも、ケンシロウくん(仮名)

と近況報告しながら、手を取り合って

頑張っていきたいです。

高校時代のあの頃のように・・・。

それでは、みなさん

ダンケシェーン