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第462話 何のために勉強するのか?

ニッポンのみなさん

こんばんは。

公務員大家ダイモンジです。

このブログでは、

50才のワタクシが、

勤め人最後の10年間を乗り越え、

明るい老後を迎えるために、

毎夜、熱く語らせて頂いています。


前回のテーマは、

「やっぱ、不動産投資は偉大だな・・・」

でした。

今回のテーマは

「何のために勉強するのか?」

です。

よろしくお願いします。

みなさん、ホリエモン、ご存じですか?

ワタクシは、20年位前から注目しています。

彼が衆議院議員選に出馬された時、

駅に降り立たれたところを見に行きました。

それくらい、注目していましたね。

彼が最近、おっしゃることに、

「学校の勉強は必要ない。」

があります。

理由は、

「ググればわかる。」

だそうです。

確かに、最近は、調べればわかることがほとんどです。

チャットGDPを使えば、

複雑な事象も調べられるだけでなく、

ちょっとした報告書も書けてしまいます。

そんな時代になってきました。

これだけ聞けば、

「学校の勉強は必要ない。」

は当てはまるかもしれません。

しかし、ワタクシは大きな違和感を感じるのです。

公立学校の小学校には、実に様々なタイプのお子様が来られます。


・勉強が得意な子

・苦手な子


・運動が得意な子

・苦手な子


・言葉がうまくしゃべれる子

・うまくしゃべれない子


などなど、一人として同じ特徴の子はいません。

その中で、

言葉を教え、

計算を教え、

人との接し方を教え、

公共の場でのマナーを教えるのが学校です。

もし、子ども達が学校へ通わなければどうなるでしょうか?

おそらく、家庭内だけの狭い世界に閉じこもり、

他人とどのように接してよいかわからない子になるでしょう。

ある一例を出しましょう。

昨年、ワタクシの親戚のお子様が、

初めて、ワタクシの地元に来ました。

それまでは、コロナの関係で、家に閉じこもり、

ほぼ、外部の人と接していなかったようです。

その子は、我が家に到着しても、

恐れて、車外へ出ることすらできませんでした。

我々の子どもの頃は、近所の子たちと泥にまみれて遊び、

家族や親せきにもまれながら、ワイワイ過ごしていたものです。

随分の時代は変わりました。

つまり、狭い世界に閉じこもると、

コミュニケーションに弊害が生じる一例だと思うのです。

コミュニケーションがうまくとれないと、

仕事は大きく限定されてきます。

また、何かを検索するにしても、

まずは、日本語の読みや書き、

言葉の意味が基本的に理解できなければ不可能でしょう。

ワタクシがホリエモンに対して、

声を大にして言いたいのは、

「学校を舐めたらアカンぜよ!」

ということです。

当たり前に地域にあり、

義務教育の名目で、当たり前のように

無料で通わせてもらえる学校です。

それに対して、ありがたみを感じていないのでしょう。

先生方が苦労して教えたことに対して、

感謝の念をもたない、愚劣な考えだとワタクシは考えます。

「我が一力で食うと思うな。」

とワタクシの祖父は、よく言っていました。

やって頂いていることに感謝しない

思いあがった考え方が、

「ググればいいから、学校の勉強はいらない。」

という間違った考えを生むのだと思います。

何歳になっても学びは必要です。

ワタクシも50才になりましたが、

いまだに資格を取るために勉強を続けています。

その基本になっているのは、

小学校の時に習った、読み書き計算であり、

大学受験の時に懸命に編み出した、勉強法であったように思います。

やはり「ググれば済む」話ではありません。

何のために勉強するか

の答えは、

「学びの基礎を作り、何歳になっても、自分を成長させるため」

だとワタクシは思います。

そのために、学校は必要だし、

我が国の学校制度や先生方に感謝する必要があると感じます。

それでは みなさん

ダンケシェーン