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第451話 ワタクシは台風7号の影響を受けた新幹線にいた その2

ニッポンのみなさん

こんばんは。

公務員大家ダイモンジです。

このブログでは、

50才のワタクシが、

勤め人最後の10年間を乗り越え、

明るい老後を迎えるために、

毎夜、熱く語らせて頂いています。


前回のテーマは、

「ワタクシは台風7号の影響を受けた新幹線にいた その1」

でした。

今回のテーマは

「ワタクシは台風7号の影響を受けた新幹線にいた その2」

です。

よろしくお願いします。

台風7号、大変でしたね。

特に、兵庫県、鳥取県の被害が甚大で、

たいへん心配しています。

前回は、命からがら、

新大阪までたどり着いた話をしました。

新大阪にたどり着いたのが深夜2時。

東京で新幹線に乗ったのが、午後6時でしたので、

実に8時間近く新幹線に乗車していたことになります。

その間、我々は運よく座れてのですが、

立ったままの乗客の方々もいらっしゃいました。

大変だったと思います。

構内のアナウンスで、

「新幹線を宿泊用に開放します。」

と流れました。

我々は、妻が明日、仕事のため。

梅田にホテルをとりました。

「梅田までどうやって行くの?」

と妻が聞くので、

「タクシーじゃろーな。

でも、この様子じゃ、歩くしかないかも・・・。」

と返しました。

新大阪駅は、ごった返していて、

改札をくぐれない状態でした。

どこが最後尾かわからないまま、

ならんでいると、

どうやら、そこは、駅員さんがいる列ではないことが発覚し、

再び、駅員さんのいる列に並びなおすことになりました。


時刻は深夜3時。

さすがに次男もつかれていたのか、

「なんで、並びなおさんといかんのじゃ!

クソが!!」

と叫んでいました。

しかし、その叫びに対して、

周りは「シーン」としていました。

誰も何も言いません。

ただひたすらに、黙って前を向いているだけです。

誰もが、この大変な状況の中で、

文句も言わずにひたすら待っているのです。

それしか、できることはないのです。

文句を言っても状況が変わらないことに

彼は気付いたのでしょうか・・・。

再び、静かに並び始めました。

こんな感じで、改札を出るのに、

1時間かかりました。

改札を出ても、人がたくさんいます。

当然、タクシーを拾えるワケもなく、

歩いて、梅田まで行くことになりました。

歩いて梅田まで行くグループ、

結構いらっしゃまいました。

重い荷物を携えて、ひたすら、南へ移動します。

幸い、雨は降っていませんでしたが、

蒸し暑い中、疲れた体を引きづって、歩きます。

その姿は、さながら手負いの日本兵の様相を呈していました。

淀川を越え、やっと、梅田のホテルにたどり着きました。

時は、すでに朝の4時。

もう、死にそうです。

「突然にすみません。」

と慇懃に受付の方に挨拶すると、

「新幹線、大変でしたね。

ウチも50組のお客様を受け入れさせて頂きました。」

と嬉しいのか、悲しいのかわからない

お顔で、ご対応頂きました。

これで何とか、

ベットは確保できたのですが、

まだまだ試練は続きます。

それでは みなさん

ダンケシェーン